“直接会えない”コロナ禍から見えた裾野あんずの魅力を今こそ広く、永く―。

 

長野県長野市のなかでも、「松代(まつしろ)」と呼ばれる地域は古くからあんずの産地だったと言います。その地において、祖父の代からあんずを栽培されていた相澤家。やがてご両親に受け継がれ、さらには則広さん、そして結婚を機に長野での暮らしを始めた相澤さんへと伝わります。今もご両親と力を合わせ、栽培から加工までを一家で行う相澤農園さまにお話を伺いました。

 

 

両親の育てたあんずのおいしさを広く伝えるために―。

 

則広さん:私たちが両親の営む農業に携わり始めたのは、6年ほど前から。基本的には両親が栽培を行い、その加工や販売を私たち夫婦がメインで行っています。繁忙期は二人揃って農園の作業を手伝いますし、妻は育児の合間を縫って日々足を運んでいますが、私自身はほかの仕事もしていますから、今は“兼業”といったスタイルです。

悦子さん:私自身の生まれは岐阜で、長野には結婚して初めて住んだような場所です。最初は地域のこともあんずのことも何もわからず、「少しでも知りたい」という気持ちで手伝いを始めました。子どもが小さいうちは時間のやりくりなども大変でしたが、例え販売だけやるにしても、あんずのことを知らないと結局お客さんに聞かれたことに答えられなくて。おいしさや特徴をうまく伝えるためにも、“現場で知る努力”をしている最中です。

 

意外と知られていない、あんずの“品種”

 

則広さん:「あんず」自体がそこまでありふれた果物ではないせいか、品種がいくつもあるということ自体、マルシェなどでは驚かれることもあります。でも実は7種くらいあって、それぞれの特徴を知れば知るほど加工の仕方にも向き不向きがあります。自分たちも試行錯誤でしたが、周りの農家さんで作っている加工品にも目を配りながら、その品種にあった加工品をに届けられればと思っている最中です。都内のマルシェに出店した時には、ジャムだけで複数の種類がある自体に驚いていただいて。

悦子さん:私たちのラベルには、丸い印を押したようなデザインのなかに品種を記載しています。こうやって種類があることや、より好みに合ったものを見つけてもらえるように工夫しているのですが、自分では「これがとてもおいしい」と思ったものが必ずしも売れるとは限らなくて、製造量の見繕いにせよ伝え方にしても、まだまだ工夫が必要です。お客さんからおいしい食べ方を教えていただいたり、一緒にマルシェに出店している方に活用のアイデアをいただいたりする日々ですね。雪見大福にあんずジャムをかけると美味しいよとかも、お客さんから教わったような…

則広さん:マルシェに出店されている方には、クレープやマフィンにも使っていただきましたし、あとお客さんの中には野菜にかけても美味しいという方もいらっしゃいました!

 

ときに夜中も農園に立つ父に、自分たちができる“貢献”を探る

 

則広さん:あんずはもともと土地を選ぶと言いますか、水はけのいい斜面で、陽当たりも気候もちょうどよいところで育つ果物です。私たちは幸いにも永く栽培できる土地を持つことができていますが、それでもここ数年の気候変化にはなかなか手を焼いています。あんずは3月の終わりごろにきれいな花を満開に咲かせるのですが、去年今年と寒の戻りが4月にありまして。そうすると育つ前のあんずが落ちてしまったり、あとはヒョウで傷ついてしまったりと、不作に陥ってしまうのです。こればかりは自然のことですし、ハウス栽培でもないですからやむを得ないのですが、父は夜中の1時ごろに農園に行って火を焚く努力をしていて。そういった姿を見ていると、せめて自分たちにできることをと栽培はもちろん、販売にも力が入る契機をもらいます。

 

コロナ禍で見えた新たな目標は、“教室拡大の仕組みづくり” 

則広さん:より多くの方に私たちのあんずを知っていただくために、今までも県内外への出店をしていたのですが、そこで訪れたのがこのコロナ禍です。本当は今までのように都内に出向いてのジャムづくり教室もやりたかったのですが、それも叶わないとなって。昨年から夫婦で始めたのが、「オンライン教室」でした。自分たちの農園のあんずを予め申し込んでくださった方にお送りしておいて、材料を手元に揃えて一緒に画面越しでジャムづくりをするんです。これが予想以上に好評で、今年も既に完売してしまったくらいです。

今までは気が付きませんでしたが、こうして自分たちが直接出向かずともできることがあると知れたのは収穫で、こうした教室を拡大するための仕組みづくりを今後は注力していきたいなと思っています。そういったなかであんず自体や品種による違い、おいしい食べ方などを皆さんと共有していけたら嬉しいですね。