自身が魅せられたパッションフルーツを多くの人へ。 笑顔を輝く南国で、“ファンが人に付く”明日をめざして

沖縄県でかねてからパッションフルーツを栽培していた野原様のご親戚。「記憶では20年前くらいからやっていたはず」と話す野原さんは、やがて母も栽培にあたる姿を見て、「自分もいつか口に入るものから人々の身体に携わりたい」と思うようになったと言います。ただ、パッションフルーツそのものに行き着くまでには少しばかり紆余曲折があった野原さん。改めてこの果実に向き合い続ける所以を尋ねました。

 

ハーブを植える将来を思い描いて、独立の“準備”に費やした日々 

実は言うとパッションフルーツの栽培を将来は自分もやるんだという気概が元々あったわけではなく、どちらかと言えば当初の関心は「ハーブ」にありました。沖縄はハーブを育てている人が多かったですし、その効果には自分も注目していましたから、まずは会社に入って独立のための準備をしようと決めました。

当時は販売職としてお客さんと接することも多かったのですが、声を聞いていて強く感じたのは、皆さん「一度損ねてしまった健康状態の改善」だったり「気になる症状からの回復」みたいなところを期待されているんですね。それも悪くはないのですが、「だったら元々口に入るものから見つめ直したいな」という想いがふつふつと湧いてきたんです。沖縄には「口からや、しーらいーる(口から入る食べ物が身体を弱らせる)」という言い伝えがあって、食べるものから身体は作られていくというふうにおばぁにも母にも聞いていました。そうした影響もあって、独立した暁には食物を育てるところから、と心を固めていたのかもしれません。

 

「いざやってみたら面白い」パッションフルーツに魅せられたあの日

会社を辞めてからは予定通りハーブを植える未来を思い描いていたのですが、農地を母から借りるにあたって、まずはパッションフルーツを手伝うことになって。そうしたらですよ、パッションフルーツを育てるのが予想以上に面白かったんです。それと、実際食べてみたら驚くほどに美味しかった!「今までも食べていたんじゃないの?」と思うかもしれませんが、当たり前のように日々身近にあったゆえ、まともに味わったことはほとんどなかったんです。

そこからみるみるとパッションフルーツの虜になって、自分も栽培に従事するようになりました。まず何が面白いって、パッションフルーツは大きく育った枝から一部を切ってきて、挿し木を行うことで新しいものが育っていくんです。小さな挿し木から大きな果樹が育っていくことも神秘ですし、どこをどう切ってどちらの方向にどんな角度で伸ばしていくか―。そうした剪定から果実の質が変わってくるような気がするんです。体感ではありますけれど、じっくり剪定して、思い通りの形に成長させられた木からは、より美味しいパッションフルーツが取れる気がしています。

 

“ファンが人につく”パッションフルーツ農家をめざして 

今後は新しいことにも少しずつチャレンジしていきたいと思っていて、具体的には「自分という人となりをもっと出していきたいな」と。パッションフルーツを好きになってくれることももちろん嬉しいのですが、それを育てている“人”にファンが付けば、それってより長いお付き合いに繋がっていくと思うんです。そういう意味でも、「旅するチーズケーキ」のように農家の顔を出して販売をしてくれる企画が舞い込んだのは本当に嬉しかったですし、そのうえでいただけたお手紙はとても大きなモチベーションになりました。

 

今ではTwitterでも自分の名前や写真も出して発信するようになりましたし、さらに言うと若手の農家の友人たちと一緒に「ゴリラファーマーズのゴリラジオ」という音声配信も始めています。農家ってどんな人で何をしている人かいまいちピンと来なかった方もいると思うのですが、自分たちから積極的に発信することで、「この人面白いな」「今度この人の育てる〇〇買ってみようかな」じゃないですけれど、“人となり”から求心力が生まれると考えているんです。そうしたら仮に栽培するものが変われど、その方は自分の作物を応援してくれるでしょうし、買ってくれるかもしれない。そんな期待に胸を膨らませる毎日です。

ぜひ「旅するチーズケーキ」に舌鼓しながら、私のTwitterも覗いてみてくださいね。

https://twitter.com/GorelaNY